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梶山陽平に嫁や子供はいる?年俸推移や天才的なプレースタイルを解説【動画】

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今回は、FC東京の司令塔“梶山陽平”選手の特集です。

かつて『天才』と称された、梶山陽平選手の年俸推移やプレースタイルについて解説いたします。

また、結婚相手の
お嫁さんや子供に関しても迫りたいと思います。

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梶山陽平に嫁や子供はいる?

それでは、梶山陽平選手のプライベートな情報について紹介していきます。

梶山陽平選手は、2007年11月に、1歳年下理恵さんという一般人女性と結婚しました。

奥様は、怪我の多い梶山陽平選手を献身的にサポートしてくれているようですね。

また、老け顔といわれることがよくある梶山陽平選手。

プレースタイルが似ていることからおじさんとかけて、『おジダン』という、良いのか悪いのか分からないニックネームで呼ばれていた時期もありました。笑

お嫁さんは、もっと年下に見えることでしょう。

また、二人は子供にも恵まれており、男の子と女の子がいて4人家族です。

子供達は、サッカーやっているんですからね?

きっと、梶山陽平選手と同じで、サッカーセンスは抜群なのだろうなと思います!

今後も、夫婦幸せに生活してほしいですね。

梶山陽平のプロフィールまとめ!

\ プロフィール /

名前梶山 陽平(かじやま ようへい)
愛称ヨーヘイ、カジ
生年月日1985年9月24日
出身地東京都江東区
身長180cm
体重73kg
ポジションMF
背番号10
利き足右足
Twitter@kaji10kazi

\ 所属クラブ /

所属クラブ試合数ゴール数
2004-2018FC東京29221
2013→ パナシナイコス (loan)70
2013→ 大分トリニータ (loan)91
2018→ アルビレックス新潟(loan)30

\ 日本代表歴 /

日本代表
2001日本 U-17
2002-2005日本 U-17/18/19/20
2006-2008日本 U-21/22/23

梶山陽平の年俸推移を紹介!

梶山陽平選手の年俸推移はこちら。

所属クラブ年俸
2018年FC東京3500万円
2017年FC東京3500万円
2016年FC東京3800万円
2015年FC東京5000万円
2014年FC東京5000万円
2013年パナシナイコス/大分トリニータ3800万円
2012年FC東京3800万円

FC東京U-15、U-18出身の梶山陽平選手は、2003年に高校3年生ながらJリーグデビューを果たします。

2004年に、トップチームに昇格すると、16試合に出場し『Jリーグ優秀新人賞』を受賞しました。

2005年には、ワールドユース(U−20ワールドカップ)オランダ大会に全3試合に出場

3戦全敗に終わりましたが、帰国後に、FC東京のボランチとしてレギュラーに定着しました。

2006年には、完全にボランチとしてレギュラーポジションをつかみ、シーズン30試合に出場!

この時点で、年俸1000万円を越えたのではないでしょうか??

2007年には、元日本代表の福西崇史選手が加入し、ポジション争いが激化。

北京オリンピックアジア最終予選のカタール戦では、左脛骨高原を骨折し、シーズン後半を棒に振りました。

2007年シーズンは、24試合出場にとどまりましたが、2008年に背番号は『10』に変更されます。

梶山陽平選手は、FC東京史上初となるユース出身の10番となりました。

さらに、FC東京での活躍を評価され、北京オリンピック代表メンバーに選出!

北京オリンピック日本代表でも背番号『10番』を背負いましたが、3戦全敗で存在感を示せずに、北京オリンピックは終わりましたね。

その後、J1では28試合出場し、北京オリンピック期間を除くとほとんどフル出場。

この時期には、年俸2500万円ぐらいだと予測します。

そして、2009年、2010年も、ボランチで中心選手として活躍しますが、2010年チームはJ2降格。

2011年に、34試合に出場してJ1へ昇格!

2012年には、キャプテンに就任してからは、トップ下としてリーグ戦全試合に出場しました。

2013年には、期限付き移籍で念願の海外移籍を果たし、ギリシャの名門『パナシナイコス』でプレーするも、目立った活躍ができず、半年で帰国。

帰国してからは、長谷川アーリアジャスール選手、米本拓司選手、高橋秀人選手からポジションを奪えず、大分トリニータへレンタル移籍するも大分トリニータはJ2降格。

==米本拓司に関する記事はこちら==

>> 米本拓司に嫁や子供はいる?年俸推移やプレースタイルを解説【動画】

さらに追い討ちをかけるように、11月には、右膝関節軟骨損傷で全治8か月の怪我を負いましたね。

2014年シーズンでは、FC東京に期限付き移籍期間満了で復帰し、怪我から夏場に復帰しますが、ポジションを奪うことは出来ず、シーズン7試合出場にとどまります。

2015年シーズンは、ボランチとして開幕からレギュラーポジションを奪いますが、7月に再び負傷。

2016年シーズンはケガから復帰するも、シーズン14試合の出場にとどまりました。

2017年シーズンは、11試合の出場と評価をここ数シーズンで落としています。

2018年シーズンは、長谷川健太新監督のもとで活躍できなければば、FC東京ユース出身の期待の司令塔は、チームから見放されても仕方ない状況といえますね。

現状は厳しいと思いますので、2018年シーズンに結果を出すことができなければ、移籍も検討した方が良いのかもしれません。

==長谷川健太監督に関する記事はこちら==

>> 長谷川健太の嫁や子供まとめ!さくらももこ(ちびまる子)との関係を紹介!

梶山陽平が2018年シーズンを最後に引退!

梶山陽平選手は2018年7月から、アルビレックス新潟へレンタル移籍しプレーしていましたが、2018年シーズンを最後に現役を引退しています。

梶山陽平選手は、長らく在籍したFC東京とレンタル先であるアルビレックス新潟の公式ホームページで、コメントを発表していますね。

2018年11月24日に、味の素スタジアムで行われる2018明治安田生命J1リーグ第33節『アルビレックス新潟 VS. 川崎フロンターレ』での試合後に『引退セレモニー』が行われる予定です。

天才と称され、北京オリンピックでは10番を背負ったほどの選手ですから、引退は本当に寂しいですね。

梶山陽平の天才的なプレースタイルを徹底解説!

それでは、梶山陽平選手のプレースタイルについて紹介していきます!

ポジションは、トップ下ボランチですね。

梶山陽平選手には『鳥の目がある』という言われ方をしますが、ピッチ上を俯瞰してみているように全体を把握して、ゲームを組み立てていく能力があり、”天才”として若手時代から注目されてきました。

世代的には、本田圭佑選手、岡崎慎司選手、長友佑都選手と同じですが、この3人より育成年代までの評価は梶山陽平選手の方が上でした。

ロングパス、ショートパスともに精度が高く、キープ力もあるので、梶山陽平選手がボールを持つと、安心して受け手は動き出すことが出来ますね。

身長も、180cmを越えているので、ワンボランチでも起用される事もあります。

ただ、梶山陽平選手が不運なのが、現代サッカーがコンパクトネスを保ち、プレッシングの強度、速度を早めることで、中盤のスペースを消すという戦術的なトレンドがあり、梶山陽平選手のようなゲームメイカータイプは絶滅危惧種になってしまいました。

また、怪我が多く、戦術トレンドの変化への適応に遅れをとったことで、年々、梶山陽平選手の起用方法は限られてきています。

遠藤保仁選手、中村憲剛選手と比較されますが、ハリルホジッチ監督がゲームメイカータイプのボランチを呼ばないのは、特定のゲームメイカーがいなくても機能するサッカーを目指しているからです!

そして、それはハリルホジッチ監督だけでなく、世界的な潮流なのです!

というわけで、梶山陽平選手選手のプレースタイルは、『古典的10番のゲームメイカーで現代サッカーの変化に伴い淘汰されてきているタイプ』とまとめることができるでしょう。

梶山陽平のプレー動画はこちら!

まとめ

多くの、FC東京サポーターを魅了してきた梶山陽平選手のパスは、Jリーグ屈指の技術でしたね。

とにかく、上手い選手を見るのは楽しいので、梶山陽平選手のプレーは本当にワクワクしました。

2018年シーズンを最後に、現役生活にピリオドを打ちましたが、今後は、セカンドキャリアを楽しんでほしいですね!

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