こんにちは。
今回は、
サッカー日本代表の歴代監督についての特集です!!!
年俸や戦術、、、
チーム作りにおける特徴を比較していきます!!!
また、、、
2018年6、7月のロシアワールドカップで、、、
ハリルホジッチ監督は退任を発表していますから、、、
後任監督人事の話もそろそろ出てくるのかなと思います。。。
アーセナルのヴェンゲル監督なのでは??
という話も出てきていますが、、、
果たして、
どうなるのでしょうか??
ただ、、、
新監督は誰が良いかという議論の前に、、、
これまでの日本代表監督の特徴と結果を見ておいた方が良いですよね!!!
ということで、
日本代表サッカー監督の歴史を学んでいきましょう!!!
日本代表監督の適任者についても考えていきますので、、、
ぜひ最後までご覧ください!!!
目次
サッカー日本代表の歴代監督まとめ!!年俸や戦術を徹底解説!!
ハンス・オフト監督(1992-1993)
ハンス・オフト監督は、
サッカー日本代表監督初の外国人監督!!!
特徴としては、
日本のサッカーを知り尽くしていた事が挙げられます。。。
ヤマハ(現ジュビロ磐田)、マツダ(現サンフレッチェ広島)で、
指導経験がありましたから、
安心して任せることが出来たと思います!!
この点は、
ラグビーのエディー監督も同じですね。。。
戦術の特徴としては、
ショートパスを主体にしたスタイルで、
攻撃では、、、
アイコンタクトとコーチングで意思疎通を図り、
トライアングルを作りながらボールを繋いで機を見てサイドアタックを仕掛けます!!!
守備では、
3ライン(ディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワード)がコンパクトに保って、
ボールを奪うというもの!!!
今聞くと当たり前とも思えるこの戦術ですが、、、
当時の日本のサッカーは、、、
このレベルだったともいえますし、
オフトが土台を作ってくれたともいえますね!!!
就任会見で、
ワールドカップ出場を目標に掲げたオフトは、、、
メディアから笑われたそうです。。。
しかし、、、
ワールドカップ出場まであと1歩のところまで迫りましたね!!!
いわゆる、、、
『ドーハの悲劇』です。。。
オフトのおかげで、
日本のサッカーは自信とスタイル、、、
そして、、、
ワールドカップ出場という明確な目標を持つことが出来ましたから、
オフト監督の功績は計り知れないですね!!!
そんな、
オフト監督の推定年俸は、
7000万円です!!!
当時の日本代表監督のサラリーとしては、
高額なものでしたが、、、
結果や影響力を考えるとするべき投資だったといえるでしょう!!!
パウロ・ロベルト・ファルカン(1994)
セルジオ越後の人脈を活かして就任した、、、
ファルカン。。。
しかし、、、
わずか5か月の在任期間で解任されました。。。
戦術的には、
ブラジルらしく自主性を重んじてかなり自由だったようです。。。
ですが、
オフト時代の戦術、
規律がなくなったチームは崩壊。。。
前園真聖 、岩本輝良 、小倉隆史など、
若手を積極的に起用しましたが、、、全く結果が出ずに解任となりました。。。
アジア大会で、
韓国戦に敗れたのが決定的な理由ですね。。。
そもそも、
やる気があったのかすら疑問が残り、、、
日本での監督経験もなく、、、
ネームバリューだけで監督を連れてきても、
こういう結果になるというモデルケースとなったのではないでしょうか??
そんな、
ファルカン監督の 推定年俸は、
1億2000万円です!!!
全く残した功績はないといっていいでしょうから、、、
この年俸はちょっと高すぎますね。。。
加茂周(1994-1997)
加茂周氏の殿堂入り祝賀会に釜本氏ら120人参加 https://t.co/XvL9UdLeqJ #日本サッカー殿堂 #加茂周 #釜本邦茂
— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2017年12月25日
当時の日本人監督としては、
トップレベルの評価を受けていた加茂周監督。。。
戦術的には、
ゾーンディフェンスを掲げましたが、、、
戦術的なレベルと指導力は低く、、、
当時バクスター監督のもとで本格的なゾーンディフェンスを採用していた、
元サンフレッチェ広島のGMで当時の日本サッカー協会副委員長である今西和男に、
加茂のゾーンディフェンスの危うさを見抜かれていました。。。
その懸念の通りに、、、
フランスワールドカップアジア最終予選で苦戦が続くと、、、
今西和男副委員長が強硬に進言して、、、
加茂監督の更迭と岡田武史コーチを昇格させる事を決定しました!!!
これは、
日本サッカー史に残る電撃解任でした。。。
加茂監督の功績は、
若手選手に対する先見の明。。。
相馬直樹、名波浩、中田英寿、川口能活といった、
日本サッカー界を背負う事になる若手選手を抜擢したことは流石です!!!
そんな、
加茂監督の推定年俸は、
7000万円です!!!
ファルカンと比べると安いですが、、、
残した成績と功績を考えると、、、
このくらいで妥当かなという印象ですね。。。
岡田武史(1997-1998)
岡田武史 監督は、
急遽就任したため戦術的な特徴を見出すのは難しいですが、、、
集まる期間が少ない代表チームらしく調子の良い選手を最大限生かすことと、
モチベーションコントロールがうまかったです!!!
クラブチームと、
代表チームのチームマネジメントは違うということを証明しましたね。。。
中田英寿と名波浩を中心に中盤を構成する一方で 、
名パサー二人を活かすパスの受け手として名波浩のチームメイトでケガから復帰した、
ムードメーカー中山雅史と中田英寿との相性の良い同世代の城彰二、中田英寿とチームメイトの呂比須ワグナーをフォワードとして抜擢!!!
一方で、
調子を落としていた”キングカズ”こと、
三浦知良の序列を落としていきました。。。
勝てばワールドカップ進出が決まる最終戦のイラン戦では、
延長戦に入る前に中田英寿から「足速い選手どうですか」という助言を受けて、、、
岡野雅行を投入!!!
中田のミドルシュートのこぼれ球を岡野が決めて、
日本サッカー界初のワールドカップ出場を決めました!!!(ジョホールバルの歓喜)
フランスワールドカップ本大会では、、、
3連敗でしたが、
すべて1点差の惜敗でした。。。
当時は、
スターのカズを外したなどの理由で袋叩きにされましたが、、、
現在は、
一定の評価をされていますね!!!
攻撃に関しては、
「中田をどう生かすか」から、
逆算したもので戦術的に評価は出来ないですが、、、
当時20歳の若手選手に、
全てを委ねた決断力と先見性には脱帽するしかないですね!!!
その後の中田英寿の活躍は、
ここで書く必要もないです!!
そんな、
当時の岡田武史監督の推定年俸は、
5000万円です!!!
ワールドカップへ導いた功労者にしては、、、
圧倒的に安いですね。。。
おそらく、
ワールドカップ出場で、
ボーナスはそれなりに貰っていると思いますが、、、
日本サッカー協会は、
岡田武史監督に足を向けて寝られないでしょうね。。。
フィリップ・トルシエ (1998-2002)
”フラット3”と呼ばれる、
3バックがラインを高く保ち、
オフサイドトラップを積極的にかけていく戦術を採用!!
しかし、、、
この戦術は、、、
攻撃的な守備という概念がなかった日本サッカーに物議を醸しました。。。
やりすぎなのでは??
というくらいディフェンスラインを高く保たせたことで、
失点もありましたが、、、
コンパクトにディフェンスラインを保つ重要性を、
日本サッカー界に残していきました。。。
また、
U-20、U-23と兼任で、
U-20ワールドカップ(当時は名称ワールドユース)で準優勝!!!
U-23は、
シドニー五輪ベスト8!!!
そしてフル代表は、
自国開催ながら初勝利と初のベスト16進出を果たしました。。。
輝かしい成績とは裏腹に、
メディアとの対立が激しく、、、
中田英寿を特別扱いしないなど、
徹底的にメディアと戦い、
あくまでも自分に全ての決定権があることを強調しました。。。
トルシエに対して悪いイメージがある方にお勧めなのは、、、
日韓ワールドカップでの日本代表の直前の合宿からベスト8をかけたトルコ戦の敗退の後までを、
スタッフが撮影した映像をもとにしたドキュメンタリー作品「六月の勝利の歌を忘れない 日本代表、真実の30日間」です!!!
トルシエがどれだけの情熱を日本代表に注いできたかが、
少なくとも分かるでしょう!!!
個人的には、
高原直泰、名波浩、森岡隆三と3人の中心選手をケガで欠きながらも、
ベスト16進出は立派だと思います!!!
しかし、、、
トルコ戦でスタメンを大幅に入れ替えたのは、、、
未だに理解できません。。。
そんな、
フィリップ・トルシエ 監督の推定年俸は、、、
9000万円です!!!
アンダー世代と兼任で、
そっちのサラリーが含まれての金額なのかまでは、
残念ながら分かりませんでしたが、、、
ベンゲル招聘を諦めてベンゲルの推薦もあっての契約だったためなのか、、、
安いと思いますね。。。
日本サッカー協会からは、
あまり就任当初は期待されていなかったようです。。。
ただ、
結果で評価を覆しましたね!!!
==トルシエ監督に関する記事はこちら==
◆ トルシエと通訳のダバディは現在何してる?戦術の評価や名言が凄い!
ジーコ(2002–2006)
2002年からは、
鹿島アントラーズの伝説の選手『神様』ジーコを抜擢!!!
当時は、
ジーコ就任に異を唱える人はいませんでした。。。
戦術的には、
自由を強調して、
特に守備面ではほとんど戦術を呼べるものはなかったと思います。。。
そして、
小野伸二、中村俊輔、中田英寿、稲本潤一、高原直泰など、
ヨーロッパで活躍する海外組と国内組に溝が生まれたり、
国内組と海外組を束ねていくチームマネジメントの難しさにも初めて直面した時期ですね。。。
また、
選手同士の話し合いや、
連携でチームを創り上げていくために、
メンバーの固定化が起きて競争原理が働かなくなっていました。。。
日本サッカーのベースがまだできていない段階で、
選手の自主性で何とかするというのは無理がありましたね。。。
そして、、、
世界のサッカーは、
より戦術化が進んでいったことも考えると、、、
ジーコジャパンは世界のトレンドからも逆行していたと思います。。。
ドイツワールドカップでは、
2敗1分けと惨敗。。。
史上最高とされたメンバーは、
あっけなく大会を終えて、
中田英寿もユニフォームを脱ぎました。。。
そんなジーコの推定年俸は、
2億2000万円です!!!
これまでの監督と比較すると、
驚くほど高い金額ですが、、、
神様ですからしかたないですね。。。
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